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Archive #36

昭和40年代のエレキ小僧なら誰しもが通るバンドベンチャーズ。みんなお手本としてこのバンドの楽曲をコピーした。一見弾けそうで、ところがどっこい結構難しいのがこのバンドの曲。それから社会人になり、3つのバンドのベーシストとしてライブを経験していずれもベンチャーズでコケたほろ苦い思い出がある。

前にも紹介したスタジオのリミックスコンテストでも見事にブービー賞を獲得したのが同じくベンチャーズのこの曲だった。あまりに悔しかったので「10番街の殺人」を取り上げて再度臨んだが、選考会にも取り上げてもらえなかった。それ以来ベンチャーズは聴いていない。

Archive #33  断捨離シリーズ(5)

断捨離と称して正体不明の古い箱を引っ掻き回していたら、当時のOHIO大学の学生新聞(The Post)に包まれるように1976年春にAthensで買った電卓が出てきた。電池を入れてみたら点灯して計算もできた。なんか感動した。ああ、また捨てられないものが出てきたよ〜。

さらに涙腺を熱くしたのは、背面をみるとMade in Japanとある。そうだよね。産業立国を目指して日本は頑張ってたんだよね。1976年9月に毛沢東が亡くなり、その後中国は近代化への道を恐ろしいスピードで歩み始める。で、その約10年後にアメリカで日本製ラジカセがボコボコにされることとなる。この程度を歴史とは言えないだろうが、「断捨離」感慨深い。

追記(というか余談) 上の写真にWendy’sの広告が見える。1976年の4年後にこのハンバーガーの日本市場の担当営業となる。その研修で当時Wendy’s社の本社があったコロンバス(オハイオの首都でAthensから車で2時間弱ほど)に研修で出張し、日本に戻った1年後にまたAthensを訪れることとなる。なにが辛かったかと言うと、一号店(銀座)ができるまで、毎週のように新商品開発の試食会に立ち合いがあったこと。美味いも不味いも食べまくり、シュリンプバーガーの導入が決定したときは、ハンバーガー地獄から脱出できると本当に喜んだ。

Archive #31

2017年6月27日、「ちょっと永眠してくるね」と言い残してTOTOは旅立った。その頃を境に、鳥だとか川や海といったフィールドの音を録って、それらを断片的に脈絡もなくトラック化していくというスタイルの楽曲が多くなってきた。

あるとき、どうしてもTOTOの存在感がある楽曲を残したくてTOTOの鳴き声を探しに探した。TOTOは陽気だが、あまり声をだしたり、ましては吠えたりしないワンコだったので苦労した。結局、bacchanのiphoneの中にひとつだけ見つかったのでデモ曲を作った。

完成度がイマイチだが雰囲気はあると思う。その後、aoがリミックスしてくれたsoundcloudのトラックoto-to-toto-to-bacchanの人物紹介に掲載している。TOTO永眠週間としてのbacchanの企画である。

あれから4年、ものすごいスピードで時間が過ぎて行く。